真実第一主義の最果てにあるものは何だろう

 古今東西において、フィクション、すなわち物語は人々、民衆の心を反映するものである。今も昔も東も西も変わらぬ、主人公像、ヒーロー像とは何かを考えればそれは真実を追求する姿勢だろう。人々は隠ぺいを嫌い、そして時には宇宙の不思議といった壮大なテーマを掲げたりして、真実を追求するのだ。そしてそれはいつの時代も正しい行い、善行とされる。

 

 つまり全世界全人類が願うことは真実の追求である。すべての事実は公にされるべきであり、政府やらなんやらは隠し事の一切を禁ずる。例えそれが残酷な事実だろうと関係ない。

 

 いつの時代も、上に立つものは完璧ではない。故に失敗をする。すると、隠ぺいをする。あるいはほんの少し事実を歪曲して記録に残す。しかし事実が降り積もれば、その中に針金があれば多少違和感を感じるよう遠い未来だろうか近い将来だろうが民衆は気付くのだ。

 

 その一切を捨ててみよう。仮にだ。もし仮に、上に立つものがみんな潔癖主義潔白主義だとしたら、どうなるのだろう。まずは科学者へバンバン税金が使われるだろう。分野問わず、すべての学問は重要である。科学の研究が進むと様々なことが明らかになり、それに連動して産業も発展する。

 

 新しい兵器を開発したぞ。そう軍人たちが言う。しかし現在、”そういう人種”を上の立場に置くという仮定を設けている。この仮定を適用し、新兵器が開発されたらすぐに全世界にその詳細を公開する。なんだこれは。政治音痴にも程がある。

 

 しかし、それが人々の望む平和像なのだ。隠ぺいをなくし、危ない兵器の存在も公にする。ゾンビを作る化学兵器を作りましたと報告すれば民間企業はそれに対抗しゆるワクチンを開発し、みんなワクチンを打って「兵器の扱いミスってバイオハザードが現実になっちまってえぐいワロタ」なんてことは起こらない。それが人々の望む平和の在り方なのだからそうしてあげよう。

 

 だがこの世界線だと争いとは無縁だろうだから政治音痴でも構わん。

 

 技術の向上に対しすぐそれを上回る安全策がポンポン出されて、常に均衡を保つ。しばらくの間、文明はこれの繰り返しだろう。人を操る機械が発明されたらそれを無効化する何かができて、さて、何世紀か経過する。

 

 物理学に大きな進展がみられる。それは宇宙工学に大きな進歩をもたらし、人類が宇宙に手を出し始める。

 

 さて、宇宙にやってきたからといって何か変わるわけじゃない。別に宇宙侵略して資源をガンガン手にするだけだ。エイリアンを軍事利用にしようと思えば、素直にそれを公表するだろう。もちろん人々がそれを気に食わないと思うなら民意の圧力で取りやめになり、ええやんと思うならそのままだ。少なくとも、この世界線において”隠ぺい”は発生しない。すべての者が正直者だからだ。

 

 知性を持たない宇宙人と出くわしたら、まあ武力行使なりなんなりするだろう。

 

 知性を持った宇宙人と出会ったら?

 

 試行錯誤していくだろう。

 

 ここまで、特にこれといって文明崩壊のきっかけが生まれない。やはり、真実第一主義が最も平和的でなおかつ”正解”なのだろう。しかし真実第一主義の動きを見てみんなは思っただろう。いやみんなこんなに性格良かったらこんな現実になっとらんわと。そうだ。真実の開示を最優先にする思想とはこの世で最も性格がいいということを表すようだ。

 

 現実世界においても、研究の世界では成果のために隠ぺい隠匿なぞ日常茶飯事だ。事実の追求を大事にする学者たちですらそんなんなので、これを読んでる君たち如きが崇高な精神を手にすることは一生ないだろう。そしてこの文章に書かれた平和的な未来を人類が手にすることは決してないだろう。いつか必ず、手遅れのタイミングが来るからだ。アホ。バカ。死ね。死ねよ人類。死ね。まじで死ね。カス。ゴミ。くず共が。生きているのが間違い。全員死ね