鬱の悪化

 うつ病と診断されて一年以上が経過した。紆余曲折あるも結局は去年の今頃となんら変わらぬ精神状態。悪化の一途を辿る。

 

 吐き出す場所がないと本当にまずいと直感した。

 

 ツイッターに吐き出すのもいいが、あそこは慣れすぎてしまった。

 

 慣れているとはどういうことか。それは流れが分かるわけだ。こんな文章をツイートしたら、ツイッターという場所では他人からどういうふうに見られるんだろう、とか、こういうツイートをしてる人ってツイッターではこういう印象あるよねとか。

 

 手に取るように分かるようになる。そうなると、何もできなくなる。

 

 しかしそれらはあくまで先入観からくるものである。つまりは無意味だ。無意味な束縛だとこの文章を書いていることから分かる通り、私はその事実を知っている。

 

 だから、ここに記すわけだ。ここに吐き出す。ひとまずここに吐き出すだけ吐き出しまくる。それが精神的な治療としていい感じだろうと判断した。

 

 これは私個人が判断した精神的な治療の手段である。そのために自らの考えを吐き出すのだ。吐き出し続ける。それが面白いか?とか、意味があるのか?とか、そんなの知らん。

 

 意味があるのかと人はよく問うが、意味なんてなくとも腕の関節を動かしたりだとか、やろうと思えばできるじゃないか。

 

 今ここで突然引きこもりを辞めて十キロくらい散歩したら神様ビックリするやろなあ....にやあ....

 

 的な感じで、体を動かそうと思えばできるではないか。そこに意味があると思うか?ないだろう。意味とは我々が後から勝手に見出し、言葉にして付け足しているに過ぎない。そもそも、言葉とは知的生命体しか持たないだろう?あるいは、言葉を持つものを知的生命体と定義しているのだろうか。

 

 では、ビッグバンが起こって一億年しか経ってない頃の宇宙に意味はないのか?

 

 そんなことを話しても無駄だ。無駄だろう。意味がないじゃないか。ほら、意味なんていうのは議論を円滑に進めるための道具でしかない。意味のないものなんてたくさんある。意味とは何か、その定義を考える必要もあるだろう。

 

 それらを深掘りするとどこに到達するか知っているか?数学基礎論、論理学、数理哲学の分野に行きつく。では、私含めこの文章を目にしている君らはそれらの教養があるとでも?

 

 ないでしょ君たち。何が言いたいかって?俺たちがこんなことを考えても”意味”がない、なんつってwwwwww

 

 大して専門知識も持たぬものが何をでたらめを考えているのだ。アホと言わずしてなんという。くだらん。実にくだらん。

 

 私はそんなことより重要なことをよく知っている。推しカプは今日も幸せか?だとか、昨日の夜とかちゃんと推しカプは百合えっちしたのかな?とか。ホモセした腐カプはアナル大丈夫かなーとか。そういったことのほうが知識の持たぬ者どもの議論ごっこよりもはるかに重大なことだ